どっこいRX100M5Aを買いました。

前回の更新からだいぶ期間が開きました。娘が生まれて、娘と遊んでる方がブログ執筆より楽しくなったり、Flickrの無料会員の写真アップロード上限が定まり、アップロード先難民になったりで、写真をネットに上げて文章を書くという行為から遠ざかっていました。

一方で写真を撮るという行為は依然として続けていて、というより何なら娘が生まれる以前より撮る枚数は増えていると思う。ただ、写真を撮る対象は娘が圧倒的に増えた。以前のように一人で街をふらついて風景を適当に撮って回るという感じじゃなくなった。

いい悪いじゃなく、ライフスタイルの変化なんだろうと腑に落ちている。

そんな新生活を共にしているのが冒頭にあったRX100M5A。ソニーが誇る傑作コンデジだと思っている。ので買い足した。のだが、

これには、少し腑に落ちていない点がある。 買った時点では良い選択だと思ったのだが、使い始めて少し違和感を感じている。

もともと使っていたカメラはD800。弩級の重さで、重さの面からは、とてもじゃないが抱っこひも、乳児、ミルク、おむつ、etc...に加えて持ち歩きたいとは思えない。

RX100M5Aはそんな悩みの解決策としてぴったりに思えた。 ポケットに入る携帯性。 さっと定まるピント。 きれいに映るレンズ。 動画も結構撮れる。

でも、ディスプレイに写したときに感じる"納得感"が違うのだ。RX100で切り取った瞬間を、仮にD800とplanar 50mm f1.4で撮っていればどんなにきれいに残せただろう。なんて思ったりするのだ。

前述の通りD800を持ち歩くのが得策だとは思っていないのだ、カメラで片手が塞がって子供が疎かになっては本末転倒だと(少なくとも頭では)思っているし、街を歩いていてそんなカメラ小僧を見るたびにヒヤヒヤする。

どうしたら良いのだろう。

答えは出ている。かつてウィージーが云った。

f/8 and be there.

を借りれば、そもそも良い写真を取るには、その瞬間その場所でカメラを構えられなくてはいけない。

少なくとも娘がもう少し大きくなるまで、両手を開けておきたいと思うなら、その場に運べるカメラはハンドストラップでいつでも手放せるコンデジか、スマホぐらいしかないのだ。

タラレバなどなく簡単な話なのである。

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RX100で撮ったバラ園のバラ

メメントモリ。

娘がこの間生まれた。この間と行っても、もう3ヶ月経とうとしているので、そこまでタイムリーな感じはないのだが、日々慌ただしく賑やかな暮らしを送っている。とても幸せだ。

そして、昨日祖父が脳梗塞で倒れたらしい。幸い意識ははっきりしているとのことだが、どうだろう。直接まだ様子を見れていないので心配だ。祖母も1ヶ月前に転んだらしく骨を折っている。どちらもまだ顔を見に行けていない。

地元を離れて時間が経つ。地元には年に数回は帰っているのだが、なんとなく皆変わりなく、地元を離れたときから時が止まっているような気がしていたのだが、実はそれはとんだ勘違いで、知らない間に皆年を取っているのだと急に実感している。そりゃ僕にも娘が生まれるわけだ。

幸い祖父も祖母も意識はあるらしい、生きているうちに生きていることの尊さを再認識できたのは不幸中の幸いかもしれない。今年の年末年始はいつもより濃い時間を過ごせるといいと思う。

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このたぬきは祖父母の家の庭にあるもの。このブログに出てくるのは2度目になる。

過去のたぬきはこちら↓
www.gnpreppy.com

モノクロフィルム写真をひさしく撮っていないのだ。

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左の歩行者の足にピントがあっていればもう少し色っぽい写真になったと思うのだが、とっさにピントを合わせられないのだった。
カレンダーの記述を見るに、2年前の今日は初めて暗室で現像した日だそうだ。レンタル暗室は手軽に現像を体験できるいいサービスだったが、結局数える程度しか利用していない。地理的にちょっと遠いので足が伸びないのだった。さらに言えば、最近はもっぱらデジタル一眼レフで写真を撮っている。フィルムカメラを最後に持ち出したのは1年ぐらい前になるかもしれない。ACROSの販売終了などモノクロフィルムを取り巻く環境は緩やかにだが、確実に終焉に向かっている。撮れるうちに撮るべきかもしれない。